インプラントの限界
短い入院期間というのは「治る早期がん」のためのものではあっても、難治性がん、再発がんの患者を手厚くフォローすることはおよそ不可能である。
国立がんセンターといえども、がん難民を生み出す因をなす再発患者、終末期の患者に対して、「もうこれ以上、治療の方法がありません」と入院、ひいては通院にさえ難色を示すのも無理からぬことであろう。
繰り返すが、目下、基幹病院の勤務医たちは患者に対応する時間を切り詰めて他の煩頂な業務へ振り向けなければならない。
当然、現況のがん告知は単なる病名の通告ということになってしまって、患者・家族を人間として遇する面が乏しくなれば、待ち受けているのは医療不信ということに他ならないであろう。
いうまでもなく生から死へと慢性的な経過では、どのような状況になってもがん患者を見放さない、患者にかかわる難題を投げ出さない総合的な管理が求められる。
私のささやかな経験からいっても、患者の心身の状態をきめ細かくリアルタイムで把握してフォローするというのは想像以上にエネルギーを要する。
私は比較的に時間に恵まれた土曜日の午前中(がんの患者さんとの話はどうしても長くなることが多いので)に、限られた患者さんとじっくり対話できることを希望して、予約制の「がん相談室」的な時間帯を設けている。
そこでは治療法一つにしても表3のような内容をはじめ、一人ひとりが抱えている背景に沿ってじっくり話し合えばとうてい時間が足りず、せいぜい二、三人の相談に乗るのが精一杯である。
この点で付言すればがん相談をはじめ予防から終末にかかわる仕組みなど、労多い中味について個別医療機関にボランティア的に善意で提供を求めるのは酷であろう。
かかりつけ医ががんの医療に本格的に参加できるような診療報酬制度上の保証を早急に再検討すべきではないだろうか。
結論的に、やはり日本社会に相応しい人間的な「がん告知」が深められなければならないはずである。
あらためていうまでもなく、がんは人間としての存在そのものを脅かす疾病であるだけに、いきおい患者の持つ悩みは単に診断・治療内容といった範囲にとどまらず、きわめて社会性の強い複合的内容にならざるをえない。
その点で患者はがんという社会的に難しい病気に遭遇して、治療だけではなく自分の個別的な情報まで打ち明けて総合的に相談できる医師・専門家を期待している側面が強いと思われる。
ステージの早期発見時はもとより、そのことが果たせなかった段階(ステージU)での「がんとの共存」も視野に入れた人間的な(綴密で親身な)がん告知が求められている。
そうしたがん告知を実現できるようながん医療の質と安全を確保しようとすれば、医師の適正配置にかかわる抜本的な改善、すなわち中長期的な人員配置、人材の育成を最優先とする社会政策が緊急の課題であろう。
現にがん医療における放射線医、臨床腫傷医の圧倒的な不足が強調される。
やがてこれらマンパワーの慢性的な不足によって、がん医療の縮小、萎縮が起こらないという保証はどこにもないはずである。
がんセンターがベストなのか?その日、知人のIさんの入院精査があらかた終わって、頑固な腹痛の原因は、欧米に比し日本人に突出して多いとされる胆道(胆嚢、胆管)系のがんと確定した。
医師の世界で肝・胆・陣(肝臓、胆道系、陣臓)と一括して呼ばれる解剖的に近接した領域のがんは、なくて予後の悪さにおいて並列される場合が多い。
当然、胆道系のがんの五年生存率は全がん中、陣臓がんに次いで二番目に低く、せいぜい二○%程度とされるが、そのうちでも彼の胆管がんは浸潤型と分類されるきわめて予後不良のものと考えられた。
私は、その種の難治性がんにかかわる厳しい診断結果を告知しなければならない場合、もろにストレートに触れにくい部分については、説明を補う手段として客観的な資料を用意することが多い。
その時も、準備した文献上のデータを示しながら治療の可能性などについて慎重に言葉を選んでいた。
いつしか「胆管がんの五年生存率が低いのは、一、二年のうちに再発、転移を起こすものが圧倒的だからである。
したがって、術後も予断を許さぬ薄氷を踏むがごとき経過を覚悟しなければならない」という核心に思わず踏み込んでしまった。
Iさんの表情はみるみるこわばっていった。
それでもすぐに気を取り直したように、やはり手術でなんとか難局を突破したいときっぱり意思表示をしてきた。
私はその決断を多とした。
こうした場合、治癒率が二○%、いやことによってはたとえ一○%といわれても、それ以外の選択肢は確実に死につながると迫られれば、患者は手術に一綾の希望を託そうとするのである。
まして高齢ならばいざ知らず、Iさんのような五○歳という働き盛りの患者に、治癒率が二○%以下だから手術は無意味で、何もせず治療を諦めて潔く、という哲学を現代の日本社会は持ち合わせていない。
ただしその後、私の説明する治療内容に関して、彼がくどいほど質問を繰り返してきたのは「施設によって手術成績が異なる」という施設格差に関してのことであり、彼のこだわりはあまりにも当然と思えた。
その入院の直前、書店の医学書の棚の前で立ちつくしているIさんを偶然見かけた、という同僚の話も伝わってきており、彼が必死になって独自に医学情報の収集に努めている様がほうふつとされた。
結局、Iさんの勤務先の上司の要望もあって、できる限り実績のある病院の選定に話が行き着いて、東京の二か所の医療機関を訪ねる役割を私が担うことになった。
そのころ脳死問題で度々交流のあった高名な医学者の紹介を頼ってただちに上京、がん治療の最高峰とされるナショナル・センターに足を運んだ。
約束より一時間余り遅れて著名な専門医との面談が許されたものの、彼の次の予定の時刻を気にしてあせりばかりが先にたっていた。
夕刻になって二つ目の目的先の近辺のレストランで昼・夕兼用の食事となったが、その日の面談の内容になにか強い徒労感を覚え、外出先だというのにいつになくビールを注文した。
いまIさんは東京での手術を目標に、この地の支店での勤務も含め単身生活による治療を展望している。
それはあくまで手術がうまくいって、治癒するということを前提に考えているようだが、医師である自分はもう少し冷静に判断する必要があるのではなかろうか。
術後五年生存率の統計に見るように、あるいは専門家も口をそろえて指摘するように、再発の可能性はきわめて高い。
彼はひょっとすると行きがかり上、この東京で再発がんの治療を継続しなければならない破目に追い込まれはしないか。
その店でほっと一息ついた時、私の思いはそこに行き着いた。
なによりも危倶されたのは、慣れない地で、しかも単身で再発のがんと闘う苛酷さである。
心身共にぼろぼろに病んでなお東京に踏みとどまるIさんの姿を想像して心なしか戦懐を覚えた。
その恐れは帰りの新幹線の手術の次は?案の定、手術の翌年に彼のがんは再発。
それ以後、彼はさらなる治療法のことで思い悩む日々を過ごした。
入院して抗がん剤による化学療法を受けるように、主治医から勧められているがどうしたものかと、繰り返し相談があった。
私はかねがね抗がん剤による治療におおむね懐疑的な立場である。
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